御由緒

創建より現在までの歩み

当社の創建は詳かではないが『新編武蔵国風土記稿』には “田中讃岐守直高が文明年間(西暦1469~1487年)に駿河より移り住んだ時、邸内の吉方(艮)に勧請した” との記述が見られる。萬治3年(1660)大破の際、再建された棟札に「武州豊島郡澁谷村総鎮守稲荷大明神者従往古當所何時不知勧請江戸山王社家小川職部持」とあることから、文明以前の鎮守とも推測される。旧少名北谷の地に因み北谷稲荷の号を冠し、往古拾余町歩の朱印地も拝領していた。

昭和20年(1945)5月25日、東京大空襲の被災により全焼。終戦後は進駐軍に境内地を接収されたが翌21年返還。同24~33年にかけて本殿・拝殿・社務所・神楽殿を再建、復興を遂げた。
— 境内見取図 昭和23年頃

現在の社殿は平成9年11月に竣功、建築家(故)菊竹清訓氏による洗練された意匠が特徴。古来の伝統を継承しつつ、建材にカラーステンレスを用いるなど、静謐を湛えながらも先鋭的な佇まいを見せている。